やっぱし舞台が好き!

芝居、ミュージカル、バレエ、ダンス、クラシック、コンサートなどの舞台観賞が大好きです。 観劇の個人的な感想をつらつらと書いてます。 たまに、ちょっとした体験談や気になったことも・・・。

栗山民也

【観劇】夏の砂の上

夏の砂の上

夏の砂の上


作: 松田正隆
演出: 栗山民也
出演: 田中圭、西田尚美、山田杏奈、尾上寛之、松岡依都美、粕谷吉洋、深谷美歩、三村和敬
観劇日: 2022年11月6日(日) 13:00
上演時間: 2時間(休憩なし)
劇場: 世田谷パブリックシアター
チケット代: S席 8,500円(F列) [パンフレット代:1,500円]


【感想】

作品は1999年のものだそうですが、私はこれが初見です。

場所は長崎。時代はおそらく昭和後期(コンビニはあるけど携帯はない時代)。
勤めていた造船会社がつぶれ、無職になった小浦治(田中圭さん)。
妻(西田尚美さん)とは別居中で、同僚だった陣野(尾上寛之さん)との不倫を疑っています。
ある日、治の妹(松岡依都美さん)が東京からやってきて、借金返済のため博多のスナックで働くので、その間、娘の優子(山田杏奈さん)を預かってほしいと頼まれますが……。

冒頭、じっとりと汗をかいた田中圭さんがタンクトップ姿で登場します。
肉体労働者らしい"イイ体"ですが、この舞台の田中圭さんは、ずっと無気力というか、無表情というか、無感情というか……テレビでよくみるバイタリティ溢れる元気いっぱいの圭さんとは真逆のイメージで、ちょっと面食らいました。
その役柄のせいなのか、長崎弁が少し辿々しいというか、棒読みのように聞こえてしまう部分も。
妹役の松岡依都美さんとは対照的でした。

そんな"伯父さん"のところへ16歳の姪が来たので、ここから心温まる物語(伯父さんの再生物語みたいな)が展開されるのかと思いきや、そんなことはなくて。
姪は姪で、なかなかにしたたかです。
基本、いろいろと家のことを手伝ったりする(治が元同僚たちと酔っ払って帰宅しても、きちんと対応する)"イイ子"なんですが、伯父さんがいない隙にタバコをふかしたり、バイト先の先輩を連れ込んでみたりといった一面も併せ持っていて。
伯父さんに心を開いていくなんて感動的なことは起きませんが、それでも、何となくシンパシーを感じているような微妙な雰囲気は醸し出しています。
そんな伯父さんとの関係も含め、結構難しい役どころを山田杏奈さんが、ナチュラルに演じてました
彼女のことはテレビCMくらいでしか観たことありませんでしたが、とても魅力的な女優さんですね。

さて、伯父さんである田中圭さんの方は、前述したように無気力な役どころ。
何故そうなってしまったのか?
昔、子供を不注意で死なせてしまったからなのか、造船所が倒産したからなのか、それとも妻に浮気されているからなのか、本当のところはわかりません。
終盤、再就職先での仕事を「機械になりきればいい」と人生を放棄するようなことを言っていましたが、それでも大怪我をしてしまったということは、やはり機械になりきれなかったんだということなんでしょう。
だからと言って、「人生やり直すぜ」みたいにならないところが、そんな簡単に変わらないよねって感じでいいんですが。

この舞台、登場人物は8人とそれなりに多いですが、その中であまり濃い交流が見られません。
何か、それぞれがそれぞれに生きていくのに必死という感じ
それは田中圭さん、山田杏奈さんという伯父さんと姪だけでなく、治の妹しかり、治の妻しかり、治の元先輩・同僚しかり。
みんながみんな灼けつく『夏の砂の上』に立っているような焦燥感を抱いているようにも思えます。

物語では、それに拍車をかけるように、水道が止まるというアクシデントが起きてしまいます。
扇風機しかない、ジリジリとした日照りが続く様は、ちょっと『砂の女』を彷彿とさせ、観ているこちらも喉の渇きを覚えるくらい。
クライマックスで、ようやく雨が降り、その雨水を伯父さんと姪が代わりばんこに飲むシーンが、唯一ホッコリできました。

感動的な話でもないし、琴線に触れるような出来事も起きませんが、何故か心に引っかかる舞台でした。

【観劇】恭しき娼婦

恭しき娼婦

作: ジャン=ポール・サルトル
翻訳: 岩切正一郎
演出: 栗山民也
出演: 奈緒、風間俊介、野坂弘、椎名一浩、小谷俊輔、金子由之
観劇日: 2022年6月5日(日) 12:00
上演時間: 1時間40分(休憩なし)
劇場: 紀伊國屋ホール
チケット代: 9,500円(C列) [パンフレット代:1,500円]


【感想】

サルトルと言えば、以前、『出口なし』を観たのを思い出します。それも2回。
2018年の大竹しのぶさん、多部未華子さん、段田安則さん、本多遼さんのバージョンと、2019年の秋山菜津子さん、中村恩恵さん、首藤康之さん、白井晃さんのバージョン(その時の感想は、それぞれこちら → 2018年版2019年版)。
ちょっと難解で、やっぱ哲学者が書いたからなのかなと思ってましたが、今回の『恭しき娼婦』は、話としてはとても分かりやすくて……でも分かりやすいがために、何というか、意外性がないというか……あくまでもストーリー的にですが。

ニューヨークからアメリカ南部の街にやってきた娼婦のリズィー(奈緒さん)は、街の権力者の息子(風間俊介さん)を客としてとり、一夜を過ごします。
翌朝、リズィーのもとへ一人の黒人青年がやってきます。
彼はある事件の冤罪を着せられ、白人たちから追われている中、その証人であるリズィーに助けを乞うのですが……。

今なお続く黒人差別の問題です。
白人警官による黒人容疑者?への行き過ぎた暴行なんかは、たびたびニュースになったりしますが、この物語では、真実を分かった上で、白人たちが黒人青年に罪を被せようとしています。
だから、ここに登場する白人は”紛れもない悪”として描かれているんですが、なんかそれが単純すぎるように思えて

リズィーも白人たちから虚偽の証言をするように言われて苦しみます。
まあこれは、ほとんど脅されているようなもんなので、「嘘は言いたくないけど、本当のことを言ったら……」と悩む気持ちはよく分かります。
でも、全編通じて、テーマが、この「どうしよう、どうしよう」という悩みだけなので、話として単調というか。
それとも、もっと隠された深いテーマ(例えば実存主義的な何か)があったのでしょうか?

さて、主演は奈緒さんと風間俊介さんの二人になるんでしょうが、お二人とも、どちらかと言えば”童顔”なので、娼婦と客という役柄には若干の違和感を抱いてしまいました。
でも、演技は素晴らしかったですね。

特に風間俊介さん、やはり彼は一点の曇りもない好青年よりは、何か暗いものを隠し持っている役の方が光っているように思います(それはまだ私が、兼末健次郎のイメージを引きずってるから?)。
今回は、やってることは全くの悪者なんですが、それでもどこかに寂しさみたいなのを抱えている感じがして。
それは、リズィーに「(昨晩は)本当に気持ちよかったのか?」と聞くあたりなど、自分の存在感を確かめているようにも見えました。

奈緒さんも舞台映えする女優さんですね。声もいいし、表情もいいし。
もともとあまり情緒が安定していないところに、虚偽の証言を迫られて、追い詰められていく様が観ているこちらも苦しくなるほどでした。

あと、冤罪を着せられる黒人青年役の野坂弘さんも存在感ありましたね
いわば事件のキーマンになるので、この人の佇まいが重要になりますが、いい緊張感が醸し出されてました。

どんよりとした空気で幕は閉じますが、その後のカーテンコールなども、その雰囲気を引きずったままで。
通常は、舞台が終わると、パッと明るめのライトが点灯され、演者さんたちも比較的スッとステージ前に並ぶことが多いと思いますが、この舞台は、一旦暗転したあと、ゆっくりと暗めのライトが点き、演者さんたちもまだ演技が続いているかのような余韻で拍手に応えていました。
客電もいつもより暗めに感じましたし(それは紀伊國屋ホールのせい?)、終演後のアナウンス(以上をもちまして…みたいなやつ)も流れず、最近ではデフォルトとなった整列退場もなし。
なので、一瞬、みんな立ち上がるのが遅くて、結果、整列退場よりゆっくりと会場をあとにしました(笑)。
ここまで演出だったのかな?

【観劇】ザ・ドクター

ザ・ドクター

作: ロバート・アイク
翻訳: 小田島恒志
演出: 栗山民也
出演: 大竹しのぶ、橋本さとし、村川絵梨、橋本淳、宮崎秋人、那須凜、天野はな、久保酎吉、明星真由美、床嶋佳子、益岡徹
観劇日: 2021年11月24日(水) 13:00
上演時間: 第1部(90分) / 休憩(20分) / 第2部(65分)
劇場: PARCO劇場
チケット代: 10,000円(C列) [パンフレット代:1,500円]


【感想】

大竹しのぶさんが医師役を演るのって、結構珍しいのでは?現代劇も久しぶりなんじゃない?
ストーリーや扱うテーマは全く違いますが、2018年に観劇した『TERROR テロ』のように、何が正しいのか、誰が正しいのか、心の中で一緒に議論し、揺れ動いた舞台でした。

認知症治療の研究をしている医療機関の所長・ルース(大竹しのぶさん)。
ある日、14歳の少女が自ら中絶しようとし、敗血症で救急搬送されてきます。
ルースが対応するも容体は悪化していきますが、そんな時に、少女の両親から「娘の傍についていてくれ」と頼まれたライス神父(益岡徹さん)が現れます。
ルースは面会謝絶を告げ、結局、少女は死んでしまいますが、少女の死に立ち会えなかった神父は、典礼を拒絶されたと怒り、その顛末をインターネットで発信します……。

ことの発端は、神父を少女に会わせるかどうか。
ルースの主張は、
  • 神父に会うと、少女が、自分はもうすぐ死ぬのではないかとパニックを起こす恐れがある。
  • 少女の両親は敬虔なカトリック信者であることはわかったが、そもそも少女自身がそうなのかわからない(信者でなければ、神父はただの部外者でしかない)。
  • 神父に会わせるということは、ルース自身が少女の死期を認めてしまうことになる(医者は、患者が死ぬその時まで生を諦めてはいけない)。
の大きく3つ(だったと思います)。

私も最初、ルースの判断は間違ってないと思ってました。
でも、途中で少女の父親(益岡徹さん:神父と二役なのでちょっとややこしい)が登場し「最後に神の赦しを得られなかった娘は、今でも地獄にいて、もがき苦しんでいる」と嘆くのを見て、最期の"典礼"には、そういう意味があったんだと思い知らされました。

医学vs宗教の戦いで始まったはずが、ルースへのバッシングが激化すると、研究所を守ろうとする動きや、ルースの替わりに所長の座に着こうとするパワーゲームが加わったりして、本筋から逸れた諍いも起きてきます。
さらに、ルースがユダヤ人であること(ルース自身は、両親はユダヤ人種ではあるが、自分はユダヤ教徒でも何でもないと言っている)、医者・所長というエリート意識で、常に上から目線の物言いをしていること(ルースは自覚していない)など、彼女のアイデンティティに関しても問題にしてきます。
そして、神父が少女に会おうとした際、それを止めようとして暴行を働いた(ルースは肩に触れただけと主張)のは、神父が黒人だったからとも見られてしまいます。
ちなみに、神父が黒人だとわかるのは、後半のセリフの中で。
これって、ロンドン公演などでは、黒人の俳優さんが演ってたんでしょうか?
昔なら、神父役の益岡徹さんの顔を黒く塗っていたかもしれませんが、昨今、そういうメイク自体が人種差別と捉えられてしまいかねないので、こんな演出にしたんでしょうか?
それとも敢えて最初は黒人だと思わせず、後にそれが黒人だったらどう?と投げかける仕掛けを作りたかったんでしょうか?

それぞれが、それぞれの立場で、自分の正しさを証明するために、相手の隙・弱みをついてくるのが、どうにも不快で……もしかしたら、そっちの方が正しいのかもしれませんが、どうしてもうわっツラだけの正義にしか見えません。
でもそれは、これが舞台で、大竹しのぶさんが主人公で、観る我々はルースに感情移入しているからだけなのかも。ルースが様々な問題を抱えていることも、私生活のシーンで垣間見えたし。
だからもし、実際にこんなことがSNSやニュースで流れてきたら、私も同じようにルースを非難する側にならないともいえません(アメリカで白人警官が黒人を射殺したってニュースを見るくらいに)。

そんなことを色々考えながら観劇している最中、ふと中島みゆきさんの『Nobody Is Right』を思い出しました。
「誰もが正しい」と主張し合えば、争いが起きる。
「正しい人なんて誰もいない」と思えば、少しは優しくなれるのかもしれない。
職業、宗教、人種、ジェンダー、役職などなど、人は色んな側面を持って、その人のアイデンティティを形成している。
それを認め合える(少なくとも攻撃しない)世の中になって欲しいと思えた骨太の会話劇でした。

【ライブ配信:WOWOWメンバーズオンデマンド】ゲルニカ

ゲルニカ

作: 長田育恵
演出: 栗山民也
出演: 上白石萌歌、中山優馬、勝地涼、早霧せいな、玉置玲央、松島庄汰、林田一高、後藤剛範、谷川昭一朗、石村みか、谷田歩、キムラ緑子
観劇日: 2020年9月24日(木) 18:30
上演時間: 第1部(1時間5分) / 休憩(20分) / 第2部(1時間25分)
劇場: PARCO劇場
チケット代: 0円(WOWOWメンバーズオンデマンドによるライブ配信)


【感想】

この舞台、興味あったんですが、ちょっと重そうだなと思い見送ってました。
でも、WOWOWメンバーズオンデマンドでライブ配信すると知り、それならばと。

ピカソの「ゲルニカ」は、本物はもちろん見たことはないですが、絵の良し悪しが分からない私も、初めて見たときは衝撃を受けました。
その絵のモチーフとなったスペイン内戦(ゲルニカ無差別爆撃)にまつわる人々を描いた舞台です。

話は、ゲルニカに住む領主の娘・サラ(上白石萌歌さん)が、従兄弟のテオ(松島庄汰さん)と結婚する日の朝から始まります。
ところが、その日、内戦が激化し、テオは反乱軍に加わるため戦地へと行ってしまいます。
サラは、以前、屋敷で働いていたイシドロ(谷川昭一朗さん)の食堂へ出入りし、そこで、兵士のイグナシオ(中山優馬さん)やジャーナリストのクリフ(勝地涼)、レイチェル(早霧せいな)らと知り合うようになりますが……。

これ、スペイン内戦について知識がないと、ちょっと厳しいかも
恥ずかしながら、私はほとんど知らず……観劇の途中、ネットで調べながら観てしまいました。
それでも、バスク人の独立に対する思いとか、登場人物のそれぞれが置かれている事情や背景とか、肌感として捉えるのが難しいところも多々ありました。

それにしても、エルサルバドルにしろベトナムにしろ、もともとは国内で起きた争いが、右とか左に分かれて、それらを支援する諸外国が加担して激化・泥沼化していくパターンは、何だか本当にやりきれない。

終盤、ゲルニカ無差別爆撃のシーンでは、ピカソの「ゲルニカ」の部分部分が、スクリーンに次々と投影される演出が……。
それは、実際の写真や映像よりも迫力や臨場感があり、あらためて、あの絵の持つ凄みを認識しました。

劇場で観たら、もっと何倍もグッとくる舞台だったんだろうなあ。

【観劇】殺意 ストリップショウ

殺意

殺意

作: 三好十郎
演出: 栗山民也
出演: 鈴木杏
観劇日: 2020年7月18日(土) 14:00
上演時間: 2時間(休憩なし)
劇場: シアタートラム
チケット代: 6,000円(E列:最前列) [パンフレットなし:小冊子が無料配布]


【感想】

新型コロナの新規感染者数が、連日過去最多を更新している今、観劇に行っていいものかどうか、本当に悩みました。
某劇場でのクラスターもあったばかりだし……。
でも、結局は劇場側の対策を信じて行くことに。
もちろん、自分の体調が問題ないことを確認した上で。
こんな正常バイアスをかけることがいけないのかも……とも思いましたが。

鈴木杏さんの一人芝居。それも2時間。
いやあ圧倒されました
一人芝居なので、他の演者との会話の妙というのは当然なく、いわゆる"語り"が主となって進んでいきますが、途中、一時もダレることなく、最後まで熱量を保ったまま突き進んでいけたのは、演出の技もあると思いますが、やはり鈴木杏さんの力量でしょう。

ダンサア・緑川美沙(鈴木杏さん)が、最後のステージを終え、自分の半生について、観客に語りかけます(我々は、そのショウを観に来た観客という設定)。
第二次世界大戦前、左翼の社会学者・山田教授と知り合いになった美沙は、山田教授の弟・徹男に恋心を抱きます。
しかし、戦争が勃発。二人は結ばれることなく、徹男は戦死してしまいます。
山田教授は、戦時中は軍国主義に思想転換したものの、戦後、再び左翼へと転換し、それを恥じることなく暮らしています。
徹男を戦地に追いやった思想に寝返ったり、平和になったらまた元に戻ったり、都合よくころころと考えを変える山田教授に対し、美沙は殺意を抱くようになり……。

舞台は、奥に円形のステージがあり、中央から花道のように赤いカーペットが敷かれ、その先には椅子が置かれています。
客席は、ステージ正面と花道を挟む形で、いわゆるコの字型に配置されています。

セクシーな衣装で登場した鈴木杏さんが、最初は静かな口調で語り始めますが、中盤、山田教授に殺意を抱き、付け回すようになるあたりからは固唾をのむ展開に。
美沙の心の揺れが、ひしひしと伝わってきました。

ころころと考えを変え、それをなんとも思わず、表は紳士的に繕い、裏は恥ずかしい顔を持っている……。
ステージの奥に掲げられた大きな鏡が、客席も映し出して、「山田教授だけじゃなく、みんな同じ」と言ってるようにも感じられました。

久しぶりに観た一人芝居でしたが、その醍醐味を十二分に堪能できた舞台でした。


※ ちょっと余談。
私の席、本当は最前列の正面ど真ん中だったんです。
でも、観劇2日前にイープラスから、演出の都合上、席を振り替えたいとの電話が。
おそらく、あまりに演者との距離が近いので、飛沫感染とかを考慮したんだと思います(最前列の席にはフェイスガードも配布されてました。装着は各自の自由)。
振り替えられた席は、残念ながら、かなり観づらい席でしたが、そこまで配慮してくれた劇場(主催)側の対応には感謝です。
そのお詫びのしるしなのか、受付でチケットを交換する時に、鈴木杏さんのサイン色紙をいただいちゃいました。
写真AC
趣味で撮影した写真を
「写真AC」

に掲載しています。
無料でダウンロードできますので、よかったら覗いてみてください。

私の作品は、
ここからどうぞ!


※ 資料用としてアップしたものも多いので、「何じゃこりゃ」って写真も多々ありますが。
記事検索
タグ絞り込み検索
  • ライブドアブログ